前回のブログから1カ月半が経ってしまった。
なんやかんやでここ最近忙しくさせていただいております。ありがたや。
さて、社屋を新築した当時を振り返るブログのその3です。
(その1を読まれてない方は下記から始めにお読みください。)
建築会社さん選びは、提案内容の圧倒的差により、新潟市の田中組さんに決めた。
すぐに正式見積作成のためのヒアリング。
そして銀行融資の正式決定。
銀行さんのススメもあり、「マイナス金利」という制度を使った。
これは、銀行に払う利息に上乗せした金額が、社屋竣工後に一気に補助金として入金される仕組み。
一見するといいのだが、返済回数を10年120回に固定され、繰り上げ返済できないのと、補助金が帳簿上雑収入に上がってしまい、税金で持っていかれてしまう。
また、消費税分が融資対象とならないので、消費税分を自社の財布から持ち出さなければならないというのが難点。
(これ以降、個人的には補助金はいろんな縛りがあるから嫌いになる)
約2億円の融資を利息を含め、120回で返済していくと、月の返済額は約130万になる。
当時のキャッシュフローでは赤字になる計算。
社屋の建築内容は田中組さんにほぼお任せのまま、なんとか粗利益率を上げるように動く。
具体的にはそれまで、すべての仕入れ商品を父親の会社である”株式会社中川商店”経由で外部の取引先から調達していたが、それらを全てプラスワイズと直接取引に変更してもらうよう片っ端から依頼した。
これは幸いにも、ほとんどの仕入先から了解の返事をいただいた。
これで何とか帳簿上プラスになる計算がたった。
私の心理状態は相変わらず危うい状態。
社屋建設が本決定してから熟睡できない状態が相変わらず続いており、誰もいない倉庫で泣きそうになったり、取引先と商談中に上の空になることが多々あった。
いよいよこれはまずいだろうということで、記憶によれば夏前くらいに人生で初めて精神科に通った。
(ここではまだ、家族や社員にも誰にも言っていない)
初めて通う精神科は初診まで1カ月近く待たされて、カウンセリングを受けた後、弱めの睡眠薬を処方しますね。と薬をもらったが、体調は全く改善しなかった。
さらに、さらに、精神力で乗り切る日々が続く・・・